演讲 点击: 2017-11-13
日文演讲稿1
中日の若者文化について
2012級日本語1班
学生番号:20127934
名前:李盼
皆さん、こんにちは!私は李盼と申します。よろしくお願いします。
今日私のスピーチのテーマは中日の若者文化についてです。若者文化というは大きなテーマですから、ここでは私は主に中日両国の若者の文化交流問題について話したいです。
ご存知のように、今中日両国の間にわだかまりがまだたくさん残っています
しかし、中日両国の若者の文化交流はすっかり断ち切れていません。「今流行文化は日本の若者はとても気にかけていて、日本のコミュニケーションの媒体はよくアジアの各国の流行文化を撮っています。日本の若者は中国の大きな都市へ旅行にいくとき、モダンな中国の若者を見て、その第一反応は親切だし、両国の若者もあまりギャップがないと思います」という報道を読んだことがあります。その言い方に私も賛成します。また、今両国の若者文化において、流行文化だけではなく、アニメ文化、新技術文化などの点にも共通感があると思います。特にアニメ文化です。日本のアニメ文化に夢
中になっている中国の若者がたくさんいます。さらに、日本のアニ
メが好きで、日本語を勉強したくなって、日本の若者の友達になりたいと思っている若者も少なくないです。
では、中日両国の若者の文化交流のために、どうすればいいでしょうか。
まず、両国の各レベルの政府間の友好交流を堅持しなければならないと思います。また、媒体も役割を果たして、両国間の一時の揉め事を冷静に分析し、これからの友好交流の立場にたって、正しく報道しなければならないと私は考えております。
要するに、文化には国境がありません。これから、互いに中日両国の若者の文化交流のパイプをもっと拡大をしておけば、その共同文化もどんどん多くなることを信じております。
以上です。ありがとうございました。
中国と日本の绊 演讲稿 日语
中国と日本の絆
——異文化交流の大切さ
大学に入ったばかりの頃、なぜ日本語を習うかとよく聞かれた。そういう時、私はいつもあやふやな返事をしていた。何度も一体何のために日本語を選ぶかと自問したことがあった。正直に言えば、その前、いかにもこういうことはじっくり考えられていなっかたようだった。自分の将来を日本語を学ぶということに賭けて本当にいいのかという問題がずっと心に纏わり付いていた。しかし、日本語を習っているうちに、私は多分答案を見付けるようになろう。
日本語を専門とした前、日本というと、私は大部分の中国人のようにまず中日戦争を思い出すかもしれない。さぞ中日戦争を題材とするドラマや映画なんか見ることが多いだろう。また、狭い日本は世界中に軽視されない国力を持っている。あるいは、まじめな日本人はいつもおじぎが好きだという印象だけを思い浮かべる。今思うに、なんと目が浅い。
さて、もし日本の発展歴史に溯るとしたら、日本が昔から世界の先進的な外来文化を摂取しながら、消化し、融合し、自国の文化を発展させてきたと考えられている。このうちに、中国と日本の絆が深いということを明らかに分かる。例を挙げると、最初日本語は漢字を借用して表記されてきたということをよく知られている。今になっても,漢字で表記することは日本語で動かさない地位を占めている。ここから見れば、漢字の伝来によって日本語は中国語に強く
影響されているように見える。
それにしても、近代に入ると、漢字は真っ先に経済を発達させてきた日本から当時遅れていた中国へバックされ始まった。例えば、中国で今まで広く使われている「経済」、「政治」、「法律」など言葉はその時こそ取り入られたらしい。さらには、今日社会学と人文科学においてこのような名詞と専門語は70%を占めているそうだ。数が本当に驚くほど多い。こういう言葉返しの現象は、日本のアニメーションを見るとか、中国人に書かれた漫画雑誌を読むとか、私がしみじみと感じられる。今日本語の中で「腹黒い」という言葉の漢字、すなわち「腹黒」は中国語で大きな人気がある言葉だ。その他、「次元」「写真」「人気」「萌える」などがたくさん中国語に現われるようになる。その中、直接そのままに取り入られる言葉があるが、訳してから借用される言葉もある。
このような言葉はある程度から中国語を充実する。それに対して、悪くないのではないかような気がする。それは文化のぶつかりまたは融合だと言えよう。ここに言語は中日の文化交流にとってかけ橋の役割を果たしているのだ。知らずうちに、つながりがますます深くなってくる。一方、このような交流は各自既存の文化を富み、お互いの発展を促すと思う。それなのに、伝わられてくる文化はもとより、大体同じだが、ずれも生じるに違いない。だから、使う時、注意しなければならない。
実は、言語だけでなく、中国は日本と多面から交流することがで
きる。先日、中国政府主催の「中日国民交流友好会」開幕式が東京の渋谷に行われた。それは両国の友好関係の歴史に新しいページをめくり、世界と未来に目を向け、中日関係を扱う努力をする表現だように思える。中日の絆がさらに結ばれてうちに、それをきっかけに、我々日本語を勉強する人、両国が互いの文化を理解し、友好関係を築くことを目指してささげる。これからそのためにがんばる。 以上です。
中日关系讲稿
中日关系
从时间角度来看,中日关系可分为古代,近代与现代关系。
从内容上划分,可分为地理关系地理关系、政治关系、 经贸关系、文化关系、科技关系、军事关系。
中日交往的三篇章:古代中日关系、近代中日关系与现代中日关系。
一、古代中日关系
1.古代中日关系中的友好交往:
隋唐时期日本派遣唐使、留学生、留学僧,而中国鉴真东渡日本,唐朝时设立的唐招提寺
2.古代中日之间的冲突:
明朝中期,倭寇(日本武士、商人、海盗)横行,当时戚家军(纪律严明、英勇善战)台州九战九捷(浙江),扫除福建、广东等东南沿海的倭患。
二、近代中日关系
主要指战争关系,入侵与被入侵的关系。
晚清时期
1.1894年,甲午中日战争。
2.1900年,八国联军侵华战争。
意义:日本成为侵华主凶,大大加深中国的半殖民地化程度。
南京政府统治时期
1.1931年9月18沈阳柳条湖事件,即九一八事变。
结果:日军占领了东北三省。
意义:中国人民开始了抵抗日本侵略的局部抗战。
2.1937年7月7日卢沟桥事件。
结果:平津相继陷落
意义:标志着全国性的抗日战争从此爆发
三次重要战役
1937年9月,林彪领导下的平型关大捷。意义:抗战以来第一次大捷。
1938年春李宗仁领导下的台儿庄战役。意义:取得抗战以来重大胜利。
1940年8月彭德怀领导下的百团大战。意义:中国军队主动出击日军最大规模战役
三、现代中日关系
1.20世纪70年代中日建交,1972年,田中角荣访华。
2.1972年至今,曾在很长一段时间内,中日一直处于和平交往时期,友好合作共同致力于亚太地区的和平是中日关系的主流,但中日围绕历史和现实问题也存在着矛盾斗争。
中日关系十大困局
南京大屠杀
历史教科书问题
慰安妇事件
钓鱼岛事件
参拜靖国神社
台湾问题
遗留化学武器问题
日本加入常任理事国
东海油气田
对华援助
重点强调以下几个问题:
台湾问题
台湾问题是中日关系中的重要且敏感问题,日本一直较为谨慎地处理台湾问题。但是近年来,无论在日本政界还是学界中,亲台势力不断扩大,日本国内不断出现了要求重新定位日台关系、利用台湾问题牵制中国的氛围。
东海油气田
中日东海资源之争激化于2004年6月。双方分歧主要是:中国主张中日的经济专属区按照大陆架自然延伸原则划分,分界线应该是在冲绳海槽一带。而日本则一直坚持在东海划定“中间线”,并要求在“中间线”两侧进行共同开发。
遗留化学武器问题
从1997年到2006年的九年里,日本未销毁一枚遗留化武。在遗留化武数目上双方存在争议。日本政府在化武问题上采取承认但不赔偿,想尽量把处理往后拖,直到《禁止化学武器公约》失效,事情不了了之。
对华援助
日本对华援助始于1979年的大平正芳内阁,到2008年将正式结束。尽管ODA(政府开发援助 )的作用世人有目共睹,但近几年,日本媒体关于中国人对日本ODA“知恩不报”、ODA为日本创造了一个竞争对手的报道一直没有间断,让ODA这个字眼蒙上了一层厚厚的灰尘。
钓鱼岛问题
钓鱼岛自古以来就属于中国
(一)历史证据
1.明朝永乐元年(1403年)的《顺风相送》至明朝,曾有记载:中国人杨载在一三七二年首先驻足钓鱼岛。
2.清嘉庆十三年(公元1808年),沈复《浮生六记》卷五初稿《海国记》中明确记述古钓鱼台(岛)归属中国。
3.1894年爆发的甲午战争,随后签属《马关条约》,钓鱼岛及其附属岛屿作为中国部分领土被割让给日本。
4.二战结束后,在开罗宣言中对日本领土做出了明确划分,日本国土不含钓鱼岛。
(二)战略价值:
如果钓鱼岛被日本非法占据,中日就得按中间线原则划分大陆架,中国不仅丢失大量的海洋管辖区和海底资源 ,而且美日对中国的战略封堵线,将从第一岛链又前推到中间线以西。
从军事地理学角度看,钓鱼列岛有着十分重要、但并不为人多知的军事价值。在我大陆国土的海洋方向,形成一道大陆外缘天然的屏障。这一串岛屿的中段,我东海方向的正面,正好是琉球群岛和台湾岛,它们加上日本九州岛使我东海海区与太平洋分隔。
(三)资源价值:
这些海域中埋藏着足够日本消耗320年的锰、1300年的钴、100年的镍、100年的天然气,这些资源足以使日本由资源小国而成为东亚的资源大国。东海的油气储量大约77亿吨,亦足日本使用近百年。
钓鱼岛上有许多名贵药材。
钓鱼岛是我国东海靖鱼场,有着丰富的渔业资源,年可捕量达15万吨。
(四)美日参与钓鱼岛之争的目的。
美国目的:美国对钓鱼岛领土主权不持立场,但是承认日本拥有钓鱼岛管辖权。美国参与到钓鱼岛事件中主要是为了稳定其在亚太地区的地位,另一方面也是遏制中国的发展,毕竟中国强大了,美国的实力相对就削弱了,不利于美国争霸,在亚太地区攫取更多的利益。
日本争夺钓鱼岛更多的是为了扩大版图,获取资源,当然,另一方面也是为了
限制中国,威胁中国,毕竟钓鱼岛战略地位太重要
十大困局体现的主要问题有:领土之争、资源之争、政治干涉、否定历史、否认事实、篡改历史、拒绝赔款、拒绝道歉。
领土资源所属关系明确,不具有争议性;台湾问题属中国内政,日本不应干涉。历史问题,证据确凿,日本希望篡改历史,美化战争的行为只能让日本政府黑上加黑。拒绝赔偿,拒绝道歉,这是不人道的,这是明知有错,不知悔改的表现。
六大关系:中日之间的地理关系 、政治关系、经贸关系、文化关系、科技关系、军事关系。
(一)地理关系{中日的演讲稿}.
地理上,一衣带水。
(二)政治关系
1、政治关系,二战结束后,日本投降,起初日本参与台湾问题,干涉中国内政,但中国始终坚持和平共处五项原则,促使中日邦交正常化。此后,日本政府仍不断干涉台湾问题、干涉中国内政,中日敏感问题上不断挑衅,中日关系逐渐向着下坡路趋势发展。
2、主要事件
1952年4月28日,日本政府同台湾当局签订“和约”。
1959年9月20日,中日建立和平共处五项原则和万隆会议十项原则,改善两国关系,促进人民友好。
1972年9月29日,双方发表《中日联合声明》,实现邦交正常化
1994年9月12日,日本政府允许台“行政院副院长”徐立德赴日出席广岛亚运会开幕式,对中日关系造成冲击。
2013年9月5日,国家主席习近平在出席二十国集团圣彼得堡峰会期间与日本首相安倍晋三简短交谈,敦促日方正确处理钓鱼岛、历史等敏感问题。
安倍“拜鬼”雪上加霜中日关系难以“破冰” ,中国领导人拒绝同日本首相会晤,高层断交。
(三)经贸方面
日本资源缺乏,需要从中国进口大量的初级产品,衣服,粮食等,中日之间签订过许多贸易协议,但也发生过许多贸易争端。日本不想让中国在贸易上获取太多的利益,对中国商品实施各种壁垒,降低中国商品价格,中国政府则在进出口、关税等方面打压日本。相对其他方面,经贸关系还算正常。
1955年4月15日,我渔业协会同日本日中渔业协议会签订民间渔业协定。 1960年8月27日,周总理会见日本贸易界人士,提出我“对日贸易三原则”:政府协定、民间合同、个别照顾。
1962年11月9日,廖承志和高碕达之助签署发展民间贸易备忘录。
2001年12月21日,中日双方就解决大葱、香菇、蔺草席三种农产品贸易争端达成共识,日方决定不启动正式保障措施,中方撤消特别关税报复措施。
截至2003年,日本连续11年为中国第一大贸易伙伴,2004年被欧盟、美国超过,退居第三,2011年被东盟赶超,成为中国第四大贸易伙伴。
据日方统计,2009年,中国首次超过美国,成为日本最大出口对象国。
2011年,中日双边贸易额3428.89亿美元、同比增长15.1%。中国出口额1482.98亿美元、同比增长22.5%,进口额1945.91亿美元、同比增长10.1%。中方逆差462.93亿美元。
2002年冷冻蔬菜事件:日本以农药残留标准超标为借口,全面封杀中国对日本出口的冷冻蔬菜
2005年紫菜事件:日本对中国干紫菜进行严格控制,2005年2月前,中国对日本的干紫菜出口为零,后来日本迫于压力,取消了限制
2013年百人经济团访华寻突破,呼吁加快日中韩自由贸易协定谈判以及就解决大气污染问题合作 ,同年在河南郑州举办日韩经贸合作交流洽谈会
(四)文化关系
1、文化交流
关系特点:和平友好交往是主流
两汉时期使节来往,光武帝赐金印
隋唐时期:留学生,鉴真东渡影响深远
近现代:中日大学之间的交换生,日本的汉语大学,
2、文化侵略
关系特点:或威逼或诱惑,从思想意识上麻痹国人。
侵华战争时期:奴化教育
和平年代文化渗透:色情文化
3、错误认识
国人的错误认识:国人中少数对日本国民全盘否定
日本人的错误认识:日本右翼分子参拜靖国神社,崇尚惨无人道的军国主义;否认历史修改历史教科书
我们应客观全面的看待日本政府和日本国民,不可以偏概全
(五)科技关系
科技差异上,日本科技相对发达,但随着我国科技的不断进步,中日之间的科技差距逐渐缩小。
科技上合作上,既有政府间的交流,也有民间交流。政府间主要签署多个科技合作协定,举行科技合作会议;民间合作主要是企业公司间的合作。总体上促进中日关系进步。{中日的演讲稿}.
(六)军事关系
军事交流呈现出间断性,低水平,低层次,主要受到政治关系,领土关系影响。
1、近几年中日军事交流的特点:一直在低水平徘徊,且交流时断时续。
2、一是双方防务首脑互访时断时续,没有形成良性的交流机制。从2003年至今,最高层军事互访基本处于停顿状态 。
3、二是交流的层次还很低,近年主要集中在校级军官以下,且多以民间力量推动,权威性、代表性不够 。{中日的演讲稿}.
4三是交流内容停留于表面,没有实质性进展,多数是参观、研讨和学习,而像举行联合军演、派员观摩对方演习、互通演习信息等实质性内容,至今仍是无法突破的禁区。
5、日本政府非法“购买”钓鱼岛而处于严峻局面 ,中日两国原计划在2012年建立防务部门海上联络机制目前已被搁置。
中日关系集中体现和浓缩了国家关系的复杂性,它既是邻国关系,又是大国关系;既是“东西”关系,又是“南北”关系;既有历史上和平与对立的双重关系,又有现实中依存和竞争的双重关系。中日关系正处于历史上的关键时期,正确看待和处理中日关系,是两国人民,特别是两国政治家义不容辞的历史责任。从战略角度看待和处理中日关系是唯一正确的选择。从战略角度看待和处理问题,主要就是从历史、全局、未来角度思考问题和处理问题。
随着中国和日本综合国力的不断提高,虽然会出现这样那样的摩擦因为那是不可避免的,但还是会向着友好发展,希望不要有战争发生,毕竟战争劳民伤财,两败俱伤。
要善于从大局的角度看待和处理中日关系
反思过去 总结经验
落后有时候不仅意味着挨打,更可能有亡国灭种的危险
展望未来 更有信心
一个国家的发展不可能永远依赖别的国家,唯有发展自己的科技,文化,加强改革开放,学习外国的先进文化技术,坚持走符合中国现实的中国特色社会主义道路,坚持科教兴国战略,中国才能不被动,才能以更加健壮刚强的姿态屹立于世界之林。
胡锦涛主席早稻田大学演讲稿中日对照
尊敬する白井克彦総長、尊敬する河野洋平先生、諸先生方、学生の皆様、友人の皆様、
まず始めに、白井克彦総長の招きに感謝申し上げます、本日は有名な学府であるここ早稲田大学に参りまして、若い皆様や諸先生方と一堂に会する機会を得ましたことを大変嬉しく思います。中国人民を代表して、ご臨席の皆様、日本国民の皆様に心よりご挨拶と祝福を申し上げたいと存じます。
早稲田大学は中国の人々によく知られている学府であり、中国と深い繋がりがあります。早くも20世紀の初頭において、早稲田大学は数千人もの中国からの留学生を受け入れました。中国の近代史において重要な影響を持つ廖仲恺先生、李大钊先生、陈独秀先生、澎湃先生等はここで学問に励んだことがあります。今日、早稲田大学は中国の多くの大学及び研究機関と良好な関係を持ち、幅広い学術交流展開し、両国の人的文化交流を推し進めるために、積極的な役割を果たされました。
ここに参りまして、私はすぐに私が存じ上げている日本の何人かの友人、例えば、竹下登先生、海部俊樹先生、小淵恵三先生、森喜朗先生、福田康夫先生、河野洋平先生などです。彼らは皆早稲田大学の出身者でありまして、日本の発展のために、そして、中日友好事業のために貢献された方々です。昨年、早稲田大学創立125周年の時,御校は世界市民を育成する世界的な大学、21世紀へ挑戦する開かれた大学を目指すことを打ち出しました。それはまさに時代の流れが求めているものです。今後がより多くの英才を育成し、日本の経済と社会の発展のために、人類の進歩のためにより大きな貢献をすることを心からお祈り申し上げます。
中日両国は一衣帯水の隣国であり、両国関係はまさに新たな歴史のスタートラインに立ち、新たな発展のチャンスに直面しています。この度、私は中国国民の日本国民への友情を、そして、中日関係の発展への真摯な期待を抱いて、貴国を訪れました。中国政府と中国国民は日本政府及び日本国民と共に努力して、相互信頼を強化し、友情を深め、協力を進め、未来への道筋を描き、中日間の戦略的互恵関係の全面的発展の新たな局面を切り開いていくことを切に願っています。{中日的演讲稿}.
諸先生方、学生の皆様、友人の皆様、
「世界の道は早稲田に通じる」これは早稲田大学の名言であります。中日関係の長期的、健全的、かつ安定した発展を推進し、両国国民の世世代代の友好を実現するには、両国国民同士の相互理解を絶えず深めていかなければなりません。ここで、私は歴史と現実の視点から中国のことについてお話したいと思います。皆様の中国に対する認識をより深めることにお役に立てば幸いです。
中国は悠久なる歴史を有する国であり、また大きな変革が起こりつつある国でもあります。5千年あまりにわたる長い文明の発展の過程において、中華民族は勤勉さと英知に富んだ民族性、鋭意進取の創造力、自ら励んでやまない奮闘精神を持って、輝かしい中華文明を創造し、人類文明の進歩のために重要かつ、大きな貢献をしました。他方、中国は苦難に満ちた道を歩んできました。とりわけ1840年の鴉片戦争以降、封建統治の腐敗と帝国主義列強の侵略によって、中国は艱難辛苦を嘗め尽くしてきました。貧弱で虐められる状況を変え、民族復興の夢を実現するため、中国人民は奮いだって戦い、確固たる決意で自立を求めてきました。1911年の辛亥革命によって、数千年にわたり、中国を統治してきた専制君主制度を打ち倒して以来、中国の発展は主に三つの段階を経ってきました。まず、一つ目に1911年から1949年まで中国人民は長きにわたり多大な犠牲を払って奮闘した結果、民族の独立と人民の解放を実現し、人民が主人公となる新しい中国を樹立しました。これにより、中国の発展と繁栄のために、根本的な条件を作り上げました。二つ目に1949年から1978年までです。中国は社会主義制度を確立し、歴史上もっとも重大な社会的変革を実現しました。中国人民はなみなみならぬ努力を経って国家建設の大きな業績を成し遂げました。三つ目は1978年から今日までです。中国人民は果敢に改革開放の偉大な道を歩み始め、新たな歴史的条件のもとでの偉大な革命を始めました。
今年は中国改革開放30周年であり、中国と中国人民にとって、特別な意義を持つ年であります。30年来、中国は高度な中央集権的な計画経済から活力に満ちた社会主義市場経済へ、そして、閉鎖的あるいは半閉鎖的な状況から全方位の開放へと偉大な歴史的な転換を成功裡に実現しました。中国の経済規模は世界の第11位から4位に躍進し、中国は世界第三の貿易大国となり、中国人民の生活水準も衣食にも欠ける状態からまずまずの生活を送れるところまで発展しました。中国は歴史的な変貌をとげたのです。
改革開放の偉大な実践において、私たちは競争が激しさを増す今日の世界において、一つの国、一つの民族が発展するには、鋭意改革を推進すること、発展に力点を置くこと、開放を堅持すること、人間を一番大事にすること、調和を促進することが極めて重要だということを認識しました。鋭意な改革とは、時代の流れに順応し、勇敢に変革し、新たなものを作り上げ、発展を妨げるあらゆる思想と観念を断固に破り、発展を束縛するあらゆる規定とやり方を変え、発展にマイナス影響を与えるあらゆる体制の歪みを取り除いて、社会の発展と進歩に強い原動力を提供することであります。発展に力点を置くとは、終始発展何よりも重要な任務として、科学的発展を堅持しながら、発展の原理を把握し、発展の理念を新たにし、発展の方式を転換し、発展の難題を解明することに力を入れ、社会の生産力を絶えず解放発展させ、経済と社会の良好で快速な発展を実現することであります。
開放堅持することは門戸を開いて、国づくりに取り組み、互恵と互いに利益を得る関係の上に立って、すべての国と経済と技術協力を行い、人類社会が作ったあらゆる優れた文明の成果を学び、吸収し、世界の平和を守ることをもって、自ら発展させると同時に、自らの発展をもって世界の平和を守っていくことであります。人間を一番大事にすることは人民のために発展し、人民に頼って発展し、人民に発展の成果を分かち合ってもらい、人民の主体的地位を尊重し、人民の創造的自主性を発揮し、終始人民の声を最優先し、人民の利益を一番に据え置き、絶えず人民の物質的、文化的生活レベルを高め、人間の全面的な発展を促進することであります。調和を促進することは人民の最も関心を持っている、最も直接かつ現実的な利益問題の解決を重点とし、社会の公平と正義を促進し、社会の創造力を強めることに力を入れ、最大限に調和の要素を増やし、不協和音を減らして、人民が安住し、楽しく働き、社会が安定と秩序を保ち、国家が末永く安定を保つのを確保することであります。
「誠に日に新たにせば、日々に新たにして、また日に宇宙万物新たならん」「天行は健なり、君子もって自強して休まず」、これは中華民族の賢人たちがを観察した上で、重要な思想であると同時に、中華民族の自らが励んでやまない民族の精神を明らかに示したものであります。従ってこれは中華で千年にわたって伝わってきて格言であります。今日の中国人民の価値観はいまの時代における豊富な実践からだけでなく、奥の深い中華文明によるものでもあります。これらは中国人民が変革と創造を行い、時代とともに進む、強い精神力となっています。
中国の改革開放にプロセスを総括し、中国人民は揺るぎない結論を得ました。すなわち過去30年間の中国の急速な発展は改革開放によるものであり、中国の将来の発展も改革開放に頼らなければなりません。改革開放は現在の中国の運命を決める重大な決断であり、13億の中国人民がともに下した決断でもあります。
かつてないほど大きな発展を遂げたにもかかわらず、中国は依然として世界最大の発展途上国であることを私たちははっきりと認識しております。中国は人口が多く、基盤が弱く発展がアンバランスであり、発展の中に生じた矛盾や問題はその規模にしても複雑さにしても、いずれも世界で稀に見るものであります。十数億の人々に利益をもたらす、より高いレベルの社会を建設し、近代化と国民全体の裕福を実現するには、まだまだ長い道程があり、根気よく努力を続けていかなければなりません。
中国は引き続き中国の特色のある社会主義の道に沿って前進していきます。私たちは鄧小平理論と三つの代表の重要思想を指針とし,科学的発展観をさらに徹底的に実施し、都市と農村の発展、地域の発展、経
済と社会の発展、人と自然の調和の取れた発展、国内の発展と対外開放など総合的に計画して、民生問題の解決と発展の協調性の強化をより重視し、経済建設、政治建設、文化建設、社会建設を全面的に推進し、生産が発展し、生活が裕福で、生態が良好な文明発展の枠組みの構築に努力していきます。
中国は終始変わることなく、平和的な発展の道は歩みます。これは中国政府と人民の戦略的な選択であります。この戦略的な選択は中国の実情に立脚し、時代の流れに順応しており、中国の国内政策と対外政策の統一、中国人民の根本的利益と各国人民の共通利益の統一を表しており、中華民族の偉大な復興を実現するための道であります。中国は確固として独立自主の平和外交政策堅持し、互恵と相互利益の開放戦略をより深く堅持し、国際関係の民主化を推進し、経済のグローバリゼーションが均衡に誰もが利益を得る方向に向かって発展するのを推進し、人類文明の交流を促進し、人類が生きるこの地球を守り、世界各国とともに、発展のチャンスを分かち合い。リスクとチャレンジに対処して、恒久的、平和、共同繁栄の調和社会の構築に推進していきます。中国は防御的な国防政策をとり、軍備競争をやらず、いかなる国に対して、軍事的脅威にならず、永遠に覇権を称えず、拡張しません。
諸先生方、学生の皆さん、友人の皆様:
中日両国人民の友好往来は2000年以上に渡っています。これを世界民族交流史上の奇跡といえましょう。長い歴史の中で中日両国人民は学びあい、互いに参考にしあい、融合しあい、それぞれの国の進歩を促進すると同時に、東アジア文明と世界文明の宝庫も豊富なものにしました。近代に入りまして、日本軍国主義が中国に対して、侵略戦争を起こしたことによって、両国の友好関係は大いに破壊されました。この不幸な歴史は中華民族に莫大な災難をもたらしただけでなく、日本国民にも、大きな被害を与えました。歴史はもっとも哲理に富んだ教科書であります。私達は歴史を銘記する強調していますが、恨みを抱き続けるためではありません、歴史を鑑とし、未来へ向かうためではあります。そして、平和を大切にし、平和を守るためであり、中日両国人民が子々孫々に渡って、友好的に付き合い、世界各国人民が永遠に平和を享受するためであります。
1972年、中日国交正常化が実現され、両国関係の新たなページが開かれました。それ以来、中日関係が各分野において、大きな発展を成し遂げました。両国間の貿易額は国交正常化当時の11億ドルから今日では2360億ドルに増えまして、昨年末までに、両国の友好都市は236組になり、また、人的な往来は、延べ544万人に達しました。中日関係の改善と発展は両国と両国の国民に実際の利益をもたらし、アジアと世界の平和と発展に重要な貢献をしました。
今年は中日平和友好条約締結30周年であります。私たちは中日平和友好条約の重要な歴史的な意義を改めて考えるになったとき、中日の友好事業のために、多くの心血を注がれ、多大な努力を払われた古き世代の指導者と各界の有識者の方々を深く偲んでやみません。また、今日にあたった中日友好協力の局面は実に容易なことではなく、これより大切にすべきこと、いっそうに感じます。
中日関係は今新たな歴史のスタートラインに立ち、さらなるの発展の新たなチャンスに恵まれています。経済のグローバル化が深まりつつある中、中日両国の共同利益は絶えず広がり、協力の可能性が絶えず拡大し、国際社会と地域で担うべき責任はますます重くなっています。昨日私は福田総理と実り多い相談を行いました。われわれは双方が中日戦略的互恵関係を全面的に深めることについて、幅広い共通認識に達し、両国関係の長期的な、健全なあすかず安定した発展の全体的な枠組みを確定いたしました。双方はともに努力し、戦略的な相互信頼を増進し、互恵協力を深め、人的文化的交流を拡大し、アジアの振興を推進し、グローバルな挑戦に対処し、中日の戦略的互恵関係をともに推進していくことについて一致しました。私はこのことについて、次のような考え方を皆さまにお話したいと思います。
まず、第一は、戦略的相互信頼の増進についてです。人間同士が、友人になる前提としては、やはり、相互信頼です。国と国との関係を安定させる基礎も相互信頼にあります。中日両国はともにアジアと世界の重要な国であり、双方はお互いに相手の発展について、客観的にかつ正確に認識し、相手を協力のパートナーと見なすべきであり、ライバルと見なすべきではありません。そして、互いに、相手の平和的に発展を支持し、相手の発展を脅威ではなく、チャンスと見なすべき、互いに相手の重大な関心と利益を尊重しあい、対話と協議を通じて、意見の相違を解決すべきであります。
次に、互恵協力を深めることについてです。中日両国はお互いとてももっとも重要な経済貿易のパートナーであります。両国の長年にわたる経済貿易の協力の良好な枠組みを大切にし、両国経済の強い相互補完性、協力の大きな潜在力を十分に生かし,省エネ、環境保護、金融、情報、知的財産権保護などの重要な分野の協力を強化し、両国の経済貿易の協力を絶えずより高いレベルに引き上げ、両国関係の物質的な基礎を強固なものにすべきです。
三番目に、人的文化的な交流の拡大です。人的な交流は両国国民の相互理解を深める架け橋です。文化交流は両国の国民の感情つなぐ絆です。わたしたちは両国の人的文化交流を根気よく継続し、そして、両国青尐年交流の長期的なメカニズムを構築に力を入れ、中日の世世代代友好の社会的基礎をしっかりとしたものにすべきです。
四番目は、アジアの発展を促進することです。アジアの発展は中日両国の協調と協力を抜きにしては語れません。私たちは日本側およびアジア諸国と共に努力して、さまざまな形での地域協力、サブ地域協力を推進し、共同の安全を強化し、東アジアの平和と安定を守り、東アジアの協力のプロセス及び東アジア共同体の建設を共に推進し、アジアの振興促進する中で中日共同の発展を実現したいと考えています。{中日的演讲稿}.
第五に,グローバルナ挑戦に対処することについて、本日の世界が臨んでいる共通の挑戦は日増しに増えています。テロ、気候変動、エネルギーの安全、食料の安全、金融リスク、重大な自然災害、重大な伝染病、大量破壊兵器の拡散など、これは各国の発展と安定に影響を及ぼします。各国は手を携えて、これに対処することに必要です。中国は日本と共に、各分野における国際協力に積極的に参加し、様々な挑戦に協力して対処する能力を高め、共に人類の平和と発展という崇高なる事業推進していきたいと考えています。 諸先生方、学生の皆さん、友人の皆さん
中日友好は両国国民の共同事業です。両国国民はこのため弛まぬ努力することが必要です。日本国民との幅広い触れ合いを通じまして、私は中日友好の発展は日本においてしっかりとした社会的基盤があると強く感じました。長期にわたり、日本国民及び社会の各界、そして友好団体の方々が中日の交流を積極的に推進し、友好協力は始終両国の関係の発展の主流になりました。中国の近代化建設において、日本政府は中国に円借款の協力を提供し、中国のインフラ建設、環境保護、エネルギー開発、科学技術の発展を支持し、中国の現代化建設を促進する上で、積極的な役割を果たしました。日本の各界の方々は様々な形で、中国の現代化建設に暖かい支援を提供してくださいました。大勢の日本の方々が中日友好事業のために、心血を注がれたことを、中国人民は永遠に銘記しています。
日本の国民は勉学に励み、そして創造に長けており、勤勉で、英知と向上心に富んでいます。早くも1400年余り前、日本は20回以上にわたり、中国に遣隋使や遣唐使を派遣しました。そして、中国の制度、法令,律令を参考にし、仏教、漢字、技術を導入し、自国自分自身の状況に合わせて、独特な日本の文化を形成させました。明治維新以降、日本国民は世界の先進的な文明を学ぶことに努力し、吸収し、日本をアジア最初の現代国家に発展させました。日本国民は限られた国土と資源のもとで世界の注目を集めるような発展の業績を成し遂げました。日本は製造業、情報、金融、物流などの分野において、世界をリードし、世界
一流の省エネと環境保護技術を有しています。これは日本国民の誇りであり、中国国民が学ぶべきものであります。
ここでは、私は両国青年の皆様にお話したいと思います。かつて御校で勉強した李大钊先生は「世界文明をつくり,人類に幸福をもたらし、青春のわれを持って、青春の人類を創造しよう」とおっしゃいました。両国青年は、中日両国友好進める新しい力であり、中日友好の未来はみなさんによって、切り開かれていくのです。私はかつて長きにわたり青年にかかわる仕事を携わってきました。ですから、青年の皆様に特別な思いがあります。青年のみなさんと一緒にいると、いつも青春の力と命の活力を強く感じ、うれしく思います。1984年中国政府は3000人の日本青年を中国に招き、大規模な中日青年友好大交流の活動を行われました。私は最初から最後までその交流に参加し、ずっと日本の青年たちに同行する中で,深い友情を結びました。昨年6月、私たちは、その1984年の中日青年友好大交流に参加した日本の皆さんを中国に招聘しました。皆様と再び一堂に会し、まさに感無量でございました。その時私は挨拶の中で「月日は人々の容貌、姿、形を変えることができますが、友情を変えることはできません」と申し上げました。
このような経験から、私は青年時代に撒いた友好の種は永遠に人生に伴っていてくれるんだということを教わりました。私たちは共に努力し、中日友好の種を広く撒き、中日友好の旗印を子々孫々にわたって、伝わっていかなければなりません。
今年は中日青尐年友好交流年であります、双方は豊富で多彩な、様々な友好交流行事を行うことになっています。ここで発表いたしますが、中国政府は100名の早稲田大学の学生の皆さんを中国に招聘することを決定しました。ぜひご在席の皆様もこの交流プロジェクトに参加し、中国に来て、中国を見てくれるよう望んでいます。
先生方、学生の皆さん、友人の皆様
あと3ヶ月で、第29回夏季オリンピック競技大会が北京で開かれます。福田総理から1964年の東京オリンピックに対する日本の国民の深い気持ち、感動を聞かせていただきましたが、私もそれを聞いて深い感銘を受けました。中国人民は心を込めて北京オリンピックの成功を願っています。私たちは「一つの世界、一つの夢」というスローガンを打ち出しましたが、まさに北京オリンピックを通じて団結·友情·平和のオリンピック精神を発揚し、世界各国の国民同士の相互理解と友好を増進するために、このスローガンがありました。この場を借りまして、日本政府及び各界の日本の皆様から北京オリンピックへのご支援をいただいたことに感謝し、日本の各界の方々が観戦のために北京を訪れることを歓迎し、そして日本の選手たちが北京オリンピックで多いに健闘されることをお祈りいたします。
先生方、学生の皆さん、友人の皆様
早稲田大学の演劇博物館のアーチに「全世界は劇場なり」とのシェスクピーアの名言が刻んであります、古今東西を見渡すと、世界の舞台で、演出されたすべての演劇のその主役はいずれも各国の人民でありました。私は中日両国の人民は手を携え、肩を並べて、中日協力の大舞台において,またアジアを振興し、世界の平和と発展を促進するという大舞台において、共に中日関係をより美しい未来を作り上げ、共に世界のより美しい未来を作り上げていくことを願っております。
ご静聴ありがとうございます。
中华人民共和国成立60周年 发言稿 中日对照
胡锦涛:全国同胞们、同志们、朋友们,今天我们隆重集会,庆祝中华人民共和国成立60周年。在这个喜庆而又庄严的时刻,全国各族人民都为伟大祖国的发展、进步感到无比自豪;都对实现中华民族伟大复兴的光明前景充满信心。
在这里,我代表党中央、全国人大、国务院、全国政协和中央军委,向一切为民族独立和人民解放、国家富强和人民幸福建立了不朽功勋的革命先辈和烈士们表示深切的怀念;向全国各族人民和海内外爱国同胞致以热烈的祝贺;向关注和支持中国发展的各国朋友表示衷心地感谢!
60年前的今天,中国人民经过近代以来一百多年的浴血奋战,终于夺取了中国革命的伟大胜利。毛泽东主席在这里向世界庄严宣告了“中国中华人民共和国的成立”,中国人民从此站起来了!具有五千多年文明历史的中华民族从此进入了发展、进步的历史新纪元。
60年来,在以毛泽东同志、邓小平同志、江泽民同志为核心的党的三代中央领导集体和党的十六大以来的党中央领导下,勤劳智慧的我国各族人民同心同德、艰苦奋斗,战胜各种艰难曲折和风险考验,取得了举世瞩目的伟大成就,谱写了自强不息的壮丽凯歌。
今天一个面向现代化、面向世界、面向未来的社会主义中国巍然屹立在世界东方!
新中国60年的发展进程,充分证明只有社会主义才能救中国,只有改革开放才能发展中国、发展社会主义、发展马克思主义。中国人民有信心、有能力建设好自己的国家,也有信心、有能力为世界做出自己应有的贡献。我们将坚定不移坚持中国特色社会主义道路,全面贯彻执行党的基本理论、基本路线、基本纲领、基本经验,继续解放思想、坚持改革开放,推动科学发展,促进社会和谐,推进全面建设小康社会进程,不断开创中国特色社会主义事业新局面,谱写人民美好生活新篇章。
我们将坚定不移坚持和平统一、一国两制的方针,保持香港、澳门长期繁荣稳定,推动海峡两岸关系和平发展,继续为实现祖国完全统一这一中华民族的共同心愿而奋斗!
我们将坚定不移坚持独立自主的和平外交政策,坚持和平发展道路,奉行互利共赢的开放战略,在和平共处五项原则基础上,同所有国家发展友好合作,继续同世界各国人民一道推进人类和平与发展的崇高事业,推动建设持久和平、共同繁荣的和谐世界。
中国人民解放军和人民武装警察部队要发扬光荣传统、加强自身建设,切实履行使命,为维护国家主权、安全、领土完整,为维护世界和平再立新功。
历史启示我们,前进道路从来不是一帆风顺的,但掌握了自己命运、团结起来的人民必将战胜一些艰难险阻,不断创造历史伟业。
展望未来,中国的发展前景无限美好,全党、全军、全国各族人民要更加紧密地团结起来,高举中国特色社会主义伟大旗帜,与时俱进,锐意进取,继续朝着建设富强、民主、文明、和谐的社会主义现代化国家,实现中华民族伟大复兴的宏伟目标奋勇前进,继续以自己的辛勤劳动和不懈奋斗为人类做出新的、更大的贡献!
伟大的中华人民共和国万岁!伟大的中国共产党万岁!伟大的中国人民万岁!
全国の同胞达、同志たち、友达:今日、私达は厳かに集会して、中华人民共和国の创立60周年を祝います。 このお祝いでまた厳粛な时间で、全国各民族人民はすべて伟大な祖国の発展の进歩のためにこの上なく夸らしいことと感じて、すべて中华民族の伟大な复兴の明るい将来性が自信に満ちることを実现することに対して。 ここで、私は党中央、全国人民代表大会、国务院、全国政治协商会议と中央军事委员会を代表して、すべてに民族の独立と人民のために解放して、国家の富强と人民の幸福は不朽の勲功の革命の先人と烈士达を创立して、心のこもっている懐かしさを表しています!全国各民族人民と国内外の国を爱する同胞に向って、热烈な祝贺を申し上げます!中国の発展の各国の友达を関心を持って支持しますに向って、心から感谢します!60年前の今日、中国人民は近代来の100年余りのを通って血みどろになって奋戦してついに中国の革命の伟大な胜利を夺い取って、毛沢东主席はここにあって世界に厳かに中华人民共和国の创立を宣告しました。中国人民はそれから立ち上がって、5000年余りの文明的な歴史の中华民族を持ってそれから入って进歩的な歴史の新纪元を発展します。60年来、毛沢东同志、�小平同志、江沢民同志を核心の党の3世代の中央の指导グループと党の第16期代表
大会にします以来の党の中央指导者はおりて、勤勉で知恵がある我が国の各民族の人々は一心同体で、刻苦奋闘して、各种に打ち胜って困难で込み入りとリスクが试して、世を惊かす伟大な业绩を得て、自らつとめ励んでやまない雄壮で美しい凯歌を作りました。今日、ひとつが现代化に向かって、未来の社会主义の中国に世界に向かって、向かって世界の东方で高くそびえ立ちます。
新中国の60年の発展の进歩は十分に证明して、ただ社会主义がようやく中国を救うことができて、ただ改革开放がようやく中国を発展することができます、社会主义を発展します、マルクス主义を発展します。
中国人民は、自分の国家を成功里に建设する能力がある自信があって、同じく、世界のために自分のあるべきな贡献を作り出す能力がある自信があります。私达は确固不动として中国の特色の社会主义の道を坚持して、全面的に党の基本理论、基本路线、基本的な纲领、基本の経験をやり遂げて、引き続き思想を解放して、改革开放を坚持して、科学的な発展を推进して、社会が调和がとれていることを促进して、全面的に小康社会の过程を建设することを进めて、绝えず中国の特色の社会主义の事业の新局面を创始して、人民のすばらしい生活の新しい1章を作ります。 私达は确固不动として"平和统一、一国二制度"の方针を坚持して、香港、マカオの长期の安定した繁栄を维持して、海峡の両岸関系の平和な発展を推进して、引き続き祖国が完全にこの中华民族の共通の愿いを统一することを実现するために奋闘します。私达は确固不动として独立自主の平和外交政策を坚持して、平和な発展の道を坚持して、相互に利益がある共に胜つ开放する戦略を遂行して、平和共存五原则の基础の上でとすべての国家は友好协力を発展して、引き続き世界の各国人民と一绪に人类の平和と発展の崇高な事业を进めて、建设の长い间平和で共に繁栄している调和がとれている世界を推进します。 中国人民解放军と人民の武装警察队は光栄な伝统を発扬して、自身の建设を强化して、适切に使命を履行して、国家の主権、安全、领土保全を守るため、世界平和を维持するため更に新机轴を打ち出す功。歴史は私达を谕し示して、前进する道はこれまで顺风に帆をあげたのではありませんて、しかし自分の运命、団结する人民を掌握してきっとすべての困难と障害に打ち胜って、绝えず歴史を创造する伟业。 未来を展望して、中国の発展の见込みは无限ですばらしいです。全党と全军の全国各民族人民はいっそう紧密に団结し始めて、中国の特色の社会主义の伟大な旗帜を高く差し上げて、时代とともに进んで、悬命に向上心を持って、建设の富强な民主の文明の调和がとれている社会主义の近代化する国家、に引き続き向かって中华民族の伟大な复兴の雄大な目标が勇気を出して前进することを実现して、引き続き自分のが勤勉に働いてと怠らなく奋闘しますを人类にして新しいもっと大きい贡献を作り出します!
伟大な中华人民共和国は万歳します!
伟大な中国共产党は万歳します!