经典语录大全 点击: 2014-03-20
浅析日语动物谚语的隐喻表现
浅析日语动物谚语的隐喻表现
辽宁师范大学 于 杨
[摘 要]在日语和汉语中都有很多与动物有关的谚语。这些谚语所要表达的意思和文字上叙述的意思都是通过隐喻表现来连接的。隐喻 是以本体和喻体之间的相似关系为基础转义而成的。而这种相似关系又可以分为几类。本文将对这几种相似关系进行简单的分析。 [关键词]动物谚语 隐喻表现 相似关系
和中国的谚语一样,日语中也存在着大量的与动物有关的谚语。这些谚语多是以动物来隐喻人或其他事物。隐喻是以本体和喻体之间的相似关系为基础转义而成的。而隐喻表现的动物谚语也在动物谚语中占有很大比例。本文以日语的动物谚语的隐喻表现为考查重点,意在分析动物谚语在隐喻表现上的几种相似关系。
一、与动物身体特征具有相似关系
·山の芋が鰻となる(天下之大,无奇不有)
山芋和鳗鱼一样,都是细长的形状,可是除此之外没有其他的类似点。而山芋变成鳗鱼,这种变化超出了人类知识的范畴。由此比喻突然间发生以外的变化,又或者比喻身份低贱的人突然变得有出息。 ·どこの烏も黒い(天下乌鸦一般黑)
这是一个无论在中国还是在日本都被频繁使用的谚语。就像无论走到哪里乌鸦都是黑色的一样,人的风俗习惯即使变化,他的本性也是很
难变化的。从“乌鸦———黑色”转义为“人———本性难改”。 ·烏を鵜「う」に使う(捧起乌鸦当凤凰)
乌鸦和鸬鹚一样,都是身体乌黑,嘴的颜色也相近。但是很大的区别是能否潜水捕鱼。鸬鹚很擅长捕鱼,而用不能够捕鱼的乌鸦来代替鸬鹚。以此来比喻用外表相似的无才能者来代替有才能者来使用。
动物的身体特征是人类最先看到,最先接受的信息。由这个最直观 的特征的相似关系为基础转义而成的谚语,数量不在少数,也因为其直观性而很好理解。
二、与动物的习性,性格特征具有相似关系
·鯉の滝登り(鲤鱼跃龙门)
无论中国还是日本都用这个谚语来比喻出人头地。传说在中国的 黄河流域,鲤鱼逆流而上到达“龙门”这个难关时,如果可以成功越过“龙门”,就可以成为优秀的龙。就像为了成为龙而努力奋斗的鲤鱼一样,如果跨过人生的种种坎坷,人也会在社会上出人头地。这种向着目标努力向前的样子,无论是鲤鱼还是人类,都是一样的。 ·鯨飲馬食(大吃大喝)「げいいん」
鲸鱼是胃口大的动物代表。鲸鱼在进食时,会将近一吨的鱼类和海 水一起喝进嘴里,然而它们会马上将喝进去的水排出。虽然不是全部吃进去,但是看起来是会喝很多水的。除此之外,牛和马也是大食量的代表。因此,从这些动物的习性与大食量的人的特征的相似性开始
转义,用来比喻那些大吃大喝的人。
·烏の行水(乌鸦洗澡,一冲了事)
乌鸦为了防止身上生长寄生虫会用水清洗身体。乌鸦虽然很喜欢 这么做,但是用水清洗的时间只有短短的两三分钟。以此习性转义,比喻人洗澡时间短。
谚语不仅仅使用动物最直观的外形的特征,也利用动物广为人知的习性以及性格特征,利用其与人类行为的相似性来转义,来比喻人类的行为。但是因为动物的习性多种多样,仅仅从字面很难找到它们的相似关系。而有很多的比喻已经固定下来,在人类日常生活中频繁使用。
三、与假想的情景具有相似关系
·牛に経文(对牛弹琴)「きょうもん」{与动物有关的日语谚语}.
这也是一个无论中国还是日本都经常使用的谚语。比喻对不懂事 理的人讲道理也是徒劳。就像对牛讲经文也毫无意义一样,将有价值的东西展示给不懂其价值的人也是徒劳无功。这里是假设了一个场景,和动物的自身特征无关,只是借了动物的这个形象,而从中找到了相似点。
·猫に木天蓼(立竿见影,立见功效)
与上面的“牛に経文(对牛弹琴)”正相反,这是比喻事情立竿见影 的谚语。木天蓼(またたび)是一种药性很高的植物,吃了它的嫩芽
和果实的话,会让疲惫的旅人打起精神继续旅行。而这种植物是猫科动物很喜欢的,用它可以轻易地引出猫咪。由此来比喻用对方喜欢的东西很容易就将其吸引出来,或可以轻易取得其信任,可以立刻见效。 ·俎板の鯉(网中之鱼)
放在菜板上任人宰割的鲤鱼,就像死到临头一样认命任人摆布的 样子。而这种放在菜板上的鱼的危险状态也和现实中事情发展的严峻 程度相关联。这种用动物及其所处环境来比喻现实事情的状态的例子 也很多。又比如“水を得た魚(如鱼得水)”,就是比喻到了适合自己的环境,得到机遇而大展身手的样子。
·痩せ馬鞭を恐れず(狗急跳墙)
每日背负重物还要经受鞭打的马,渐渐就不再惧怕鞭打了。由此来 比喻那些被统治而生活贫穷的人,因为一无所有而会铤而走险做出危险的恶事。又如“飢えた犬は棒を恐れず”以上的例子中所描述的状态和所比喻的状态,并不一定有客观上的相似性。但是通过设定一个假想的情景,用认知的类似性将两者联系起来。而因为假想的情景只是借助了动物的这个形象,所以没有特别的限制,也会用不同的动物来表现其类似性。
四、其他的相似关系
·犬猿の仲(水火不容)
·魚と水(鱼水之交)
这是利用双方之间的关系,来比喻人们之间的关系。比如用狗和猴
子之间不好的关系,来比喻人们之间不好的关系。也用鱼和水这种不能分割的密切关系来比喻亲密无间的关系。以上的例子就是,这种用动物之间,或动物与物体之间的相似关系来比喻人际关系的谚语。而像以以下这种相似关系为基础的谚语也不为少数。
·馬には乗ってみよ、人には添うてみよ(路遥知马力,日久见人 心)
·虎は死して皮を留め、人は死して名を残す(虎死留皮,人死留 名)
马的好坏要骑过之后才知道,人的好坏要接触之后才了解。就像老虎在死后会留下华丽的皮毛一样,人在死后也会芳名永存的。这两个谚语都是在进行完关于动物的叙述后,紧接着叙述关于人的比喻。大部分的谚语都会省略后半部让人自己去想象。而这种直接全部表明的谚语也大量存在。
无论在哪个语言中,谚语都大量存在,并被广泛使用。它是各民族 的智慧的结晶。通过比喻表现,将生活中的经验语言化,流传给后代。而这种比喻表现,不仅仅通过隐喻表现,还有换喻表现,提喻表现等比喻表现。今后将继续对这方面进行研究分析。
参考文献
[1]时田昌瑞.岩波谚语辞典.岩波书店,2003
[2]陈光润.汉日谚语词典.四川辞书出版社,2003
由动物谚语看中日文化差异的差异
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由动物谚语看中日文化差异的差异
作者:荣桂艳
来源:《科教导刊·电子版》2015年第15期
摘 要 谚语是人民大众生活经验的积累与总结,是集体智慧的结晶。文化是一种历史现象,它是社会历史的积淀物,语言就象一面镜子,反映了该国的文化,由于中日两国所处的地理位置,自然环境,历史条件不同,在谚语中使用的动物也不同,它体现了中日两国不同的文化差异。
关键词 动物 谚语 中日文化差异 映射
1引言
谚语是人们根据自己长期的生活经验创造出来的,并经过大众传诵,锤炼,完善而流传于世的,是集体智慧的结晶,是语言文化宝库中的瑰宝。自古以来中日两国有着密切的文化交流,在悠久的交流历史中,很多中国文化流传到日本,谚语也作为中国文化的精髓随之流传到了日本。因此,中日两国有很多相同、相似的谚语。但由于两国的社会环境,风土人情等不同,许多谚语在表达方式上也有所不同。日本特有的文化也孕育出了很多独自的谚语,这样日本又有自己不同的谚语。汉语和日语中都存在着大量与动物有关的谚语,它们是人类文化的全景速写,可以从中看出该国的历史、传统、风土、人情等。笔者从中日两国谚语中挑选出一些相同或相似的有关动物的谚语来比较和分析各自的意义及表达方式,从中分析出中日两国的文化差异。
2中日谚语中动物的使用偏好
这里的使用偏好,指的是在不同的民族文化圈中,通过动物来表达生活经验、事物道理时在谚语中的具体使用情况。
2.1 虎
在中国虎一向是猛兽的代表,被奉为百兽之王,“虎”常被描述成“壮哉于兔豪且雄,猛气不与凡兽同。吞牛伏豹爪牙利,空谷一啸来天风”的“虎大王”。自古以来,有关虎的成语,谚语就一直丰富着人们的语言生活,在中国谚语中,虎常和狼连用,两者都是凶狠,残暴的形象,用作比喻强大,凶恶的势力。如“蜂蚁也有君臣,虎狼也有父子”。“人可以和虎狼搏斗,却无法和苍蝇争吵。”还有“前怕狼,后怕虎,一事无成白辛苦”。而在日语谚语中,虎常和鼠连用,虎作为威猛强大,鼠作为胆小无力的形象代表,两者常作为强弱势力的对比双方在谚语中出现。举例如下:
(1)虎鼠となる // 虎沦为鼠 虎落平阳。
日语中与大自然有关的谚语
いずれ菖蒲か杜若
どれも優れていて優劣をつけ難く、選択に迷う事のたとえ。
菖蒲と杜若は同類のよく似た美しい花で、区別するのが難しい事から。
やはり野に置け蓮華草
蓮華草は野原という自然の中で咲いていてこそ愛らしく美しい。同じように、物にはその物を置くのに相応しい場所があり、人にも適材適所と言われるように各人に適した相応しい環境があるという事。 江戸時代、播磨国(兵庫県)の瓢水(ひょうすい)という俳人が、遊女を身請けしようとする友人を諫めた句「手に取るなやはり野におけ蓮華草」から。
栴檀は双葉より芳し
大成する人物は、幼いときからずばぬけて優れたところがあるということ。
「栴檀」は白檀の異称。白檀という香気は、芽生えた双葉の頃から芳しい香気を放っているの意から。「双葉」は「二葉」とも書く。いろはがるた(京都) 独活の大木
体が大きいだけで、何の役にも立たない者を嘲って言う言葉。
独活は丈こそ高くなるが、茎は柔らかくて弱く、材としては物の役に立たない事から。
柳に雪折れなし
一見弱そうでも柔らかくてしなやかな物は、堅いものよりもむしろ強いという事。
柳の枝はよくしなるうで、雪が積もっても曲がるだけで、堅い木のようにぽきんと折れてしまう事が無いことから。「柳に雪折れなし」とも言う。
蕎麦の花も一盛り
どんな娘でも、年頃になれば相応の魅力が出て美しく見えるという事。
ぱっとしない蕎麦の花も、それなりに美しく見える時期があるの意から。
立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花:美しい女性の容姿や立ち振る舞いを形容する言葉
秋茄子は嫁に食わすな
秋の茄子は味がよく、もったいないないから嫁なんかに食べさせるな、と姑の側から言う言葉。 一説に、秋の茄子は体を冷やすといけないから、あるいは種が少ないので子種が少なくなるから嫁に食べさせてはいけないの意とも言う。
匂い松茸味占地
匂いが良いのは松茸、味が良いのは占地(しめじ)と、数あるキノコの中で特に優れている松茸と占地の特徴を言う言葉。
青柿が熟柿弔う
人は誰もいつかは死ぬ。だから、人の死を弔う者にも弔われる者にも、ほとんど差は無いのだというたとえ。
熟した柿が落ちて潰れるのを見て「ああいたわしい事だ」と弔う青い柿だって、いつかは熟して同じように落ちて潰れる定めにあるという事から。
青は藍より出でて藍より青し
弟子が師よりもぬきんでることや、教えた人よりも教えられた人の方が勝ってしまう事のたとえ。
元来、青色は藍から染料を取ったが、その青が元々の藍より青く美しくなることから。「出藍の誉れ」とも言う。
日语谚语中的汉语翻译
日语谚语中的汉语翻译
第一章 鱼相关日语谚语的翻译
日本是四面环海的岛国,日本人的生活和文化沉淀都与海洋有着密切的联系。因此日语中出现了大量与鱼相关的谚语,它们蕴含了日本特有的海洋文化,也形象地表达了日本人特有的价值观。
1.1 鱼相关日语谚语
例1
日语: 蝦で鯛を釣る
汉译:抛砖引玉,一本万利。
虾和鱼在本句汉译的时候翻译成了砖和玉,表示用微不足道的东西来换取较为贵重的物品。这句谚语在日语中指的是用相对廉价的虾来钓鲷鱼。(在日本吃鲷鱼一般指的在祝贺或者有喜事的时候)
例2
日语:腐っても鯛
汉译:瘦死的骆驼比马大
在日本鲷鱼是高级的鱼种,在这句谚语中也很好地反映出了日本海洋文化。而在中国骆驼也是沙漠中具有举足轻重作用的交通工具,在汉译中明显地表达了中国文化还是以陆地为主,这也是与两国的地理环境有关。
例3
日语: 海が湧く
汉译:潮来鱼聚
这句谚语是形容鱼群随着潮水而来,聚集于某处。众所周知,日本拥有世界闻名的北海道渔场,而居住于此的渔民们以捕鱼为生,因此他们将海潮汹涌比喻成鱼群聚集。 例4
日文:海の藻屑となる
汉译:葬身鱼腹
藻屑指的是海藻的碎屑,或水中的垃圾,日本民族用这个谚语来隐晦表达在海上死去的意思。
语言是文化的载体,文化受语言的支配。日本四面环海的独特环境使得日本人形成了对海洋的特殊感情,也造就了日本人海洋文化的独特思维习惯。因此,日本人在对事物属性描述时就会不经意地联想到海洋中的鱼类。在日语谚语表达中,与鱼相关的谚语表现尤为明显。因此,在汉译与鱼相关的谚语的过程中,不可忽视日本海洋文化因素的影响,一定要考查和尊重这种文化因素,否则会言不达意。
1.2 日语中关于猫、狗的谚语
日本人每个人小时候都会养小动物,由此可以看出他们与动物的密切关系。日本人也习惯用动物相关的谚语来表达自己的情感。本文选择了生活中常见的猫和狗相关的谚语来研究。
1.2.1 与猫相关的谚语
在日本喜欢猫的人很多,因此字典中也能找到不少关于猫的谚语,而日语中与猫相关的谚语在翻译成汉语的时候也有着独特的表述。
例1
日文:猫の額
汉译:比喻面积非常小,巴掌大的地方。
例2
日文:猫に小判
汉译:对牛弹琴,给猫钱它也不懂得花。与「馬の耳に念仏」的汉译一样。 例3
日文:あってもなくても猫の尻尾
汉译:无关紧要,可有可无。
例4
日文:猫にもなれば、虎にもなる
汉译:软硬兼施,刚柔兼备
例5
日文:猫の手も借りたい
汉译:忙得不可开交,人手不足
例6
日文:男猫が子を産む
汉译:无稽之谈
例7
日文:上手な猫が爪を隠す
汉译:忙得很,人手不足
例8
日文:たくらだ猫の隣歩き
汉译:多管闲事
以上例子可以看出,日本人与猫的关系甚为亲密。日本人运用了拟人的手法,用猫的特性来比喻人类行为或者事物规则。同时也可以看出,在汉译的时候所运用的表达与猫就没什么太大关系。因此在汉译的时候,应该从寓意上考虑。
1.2.2与狗相关的谚语
无论是在日本还是在中国,狗都是人类忠实的伙伴。尤其是日本,在很早之前就出现了导盲犬。而将狗作为宠物来饲养的事情也是很常见的。接下来我们就探讨下与狗相关的谚语。 例1
日文:犬の糞で敵を討つ
汉译:不折手段,手段卑鄙
例2
日文:犬の糞に手裏剣
汉译:杀鸡焉用牛刀
例3
日文:犬の糞も所びいき
汉译:敝帚自珍;美不美家乡水,亲不亲故乡人
例4
日文:犬の小便道々
汉译:谨小慎微,处处留神
例5
日文:犬に頼めば糞食わず
汉译:不识抬举,给脸不要脸
在学习日语的过程中,很多人会发现日语中有许多与狗相关的谚语表达经常与一些污秽事物联系在一起,在字典中就能查到7个之多(日语中与狗相关的谚语在词典中有60个左右),但是在汉译时一般不会出现粪便之类的表达。综上所述,在将此类谚语汉译的时候一般会选用较为文雅的表达。
与日本谚语相关的词汇{与动物有关的日语谚语}.{与动物有关的日语谚语}.
关于狗的中日谚语
犬にまつわる諺
<< 作成日時 : 2006/04/20 23:08 >>
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動物の名前を使って表現される言葉には、否定的な意味合いを持つものがある。たとえば、「狸親父」「豚児」「馬鹿」、あるいは「獣欲」「畜生」等々である。 「犬」にもそういった言葉がある。「犬侍」「犬死」「煩悩の犬」「負け犬」などである。広辞苑で見てみると、「犬」には次のような否定的な意味がある。
・ ひそかに人の隠し事を嗅ぎつけて告げる者。回し者。間者。
・ ある語に冠して、似て非なるもの、劣るものの意を表す語。また、卑しめ軽んじて、くだらないもの、むだなものの意を表す語。
犬の好きなバカ親父には、これらの「犬」の入った否定的な意味の言葉が使われるのは嫌なのだが、反面、それだけ犬が人の生活に密着して、人とともに生きてきた証拠ととらえることもできるだろう。
言葉もそうだが、人の生活や考えや文化に密接にかかわる諺(ことわざ)に、「犬」にかかわるものがいろいろある。「犬も歩けば棒に当る」「夫婦喧嘩は犬も食わぬ」などはよく知られているが、その他にもありそうである。
ちょっと調べてみたので、お暇のある方はご覧いただきたい。(出典は、『岩波ことわざ辞典』と『広辞苑』である)
○ 一犬(いっけん)虚に吠えれば万犬(ばんけん)吠える
(一犬影に吠ゆれば百犬声に吠ゆ、一犬影に吠ゆれば万犬声に吠ゆ)
一人がいい加減なことを言ったのを、人々がそれを真実として言い広めること。
○ 犬が西向きゃ尾は東
きわめて当たり前のことを、わざわざ事新しく言うこと。{与动物有关的日语谚语}.
○ 犬になっても大家(おおや)の犬 [ 犬になるなら庄屋の犬になれ。犬になるとも大所の犬になれ ]
主人となる人を選ぶなら、頼りがいのある大物がよいということ。
○ 犬は三日飼えば三年恩を忘れぬ [ 犬は三日養えば三年恩を忘れぬ。犬は主人を忘れず ]
三日しか飼わない犬ですら主人に忠義を尽くすのだから、人間はなおさら恩知らずであってはならないという戒め。
○ 犬骨折って鷹の餌食(えじき)
苦労してあと少しで手に入るものを、ほかに横取りされることのたとえ。
○ 犬も歩けば棒に当る
① 何かをやっていれば意外な幸運に出会うこと。
② 何か行動すると災難に遭遇すること。
○ 犬も朋輩(ほうばい)、鷹も朋輩 役割が異なり、立場に上下の違いがあっても、同じ主人に仕える者は同僚だということ。
○ 飢えた犬は棒を恐れず
生活に困っている者は、危ないことも悪いこともするものだということ。
○ 兎を見て犬を放つ
① 過ちを犯しても、まだ取り返しがつくことのたとえ。 ② 状況を見極めてから対策を講じても遅くない意。 ③ 手遅れのたとえ。
○ 尾を振る犬は叩かれず
親愛の意を表する者は、攻撃されたりいじめられることはないという意。
○ 犬猿の仲{与动物有关的日语谚语}.
仲の悪い間柄のたとえ。
○ 狡兎(こうと)死して良狗(りょうく)烹(に)らる
どんなに役に立ったものでも、用済みのものはお払い箱になるということのたとえ。
○ 自慢の糞は犬も食わぬ
むやみに自慢ばかりする者は誰も相手にしないということ。
○ 虎を画(えが)いて狗(いぬ)に類す [ 虎を描いて猫に類す。虎を描いて狸(り)に類す ]
① 才能のない者が優れた者のまねをして失敗するたとえ。
② ものを学んだのにかえってやりそこなってしまうことのたとえ。
○ 犬の手も人の手にしたい [ 猫の手も借りたい。猫の手も人の手にしたい ] 忙しい時に誰でもいいから手伝いがほしいこと。
○ 犬が駆け出しても笑う [ 箸が転んでも可笑(おか)しい。箸のこけたにも笑う ] 日常のありふれたことに、さも可笑しいものをみたように笑い転げること。
○ 夫婦喧嘩は犬も食わぬ
夫婦の間の喧嘩を他人が仲裁するのは愚かであるということ。
○ 吠える犬は噛みつかぬ
人を脅したりやたらに威張ったりする者は、むしろ実力はなく何もできないものだというたとえ。
○ 煩悩の犬は追えども去らず
心を悩ます欲望などは追い払っても追い払っても離れないということ。
○ 孫を飼うより犬ころ飼え(孫飼わんより犬の子飼え) 孫を可愛がっても、後で孝行して貰えることは少ないから、犬を飼った方がまだましだということ。
○ 犬の糞も焼味噌も一つ [ 味噌も糞も一緒。糞味噌。味噌も糞も一つ ] きれいなものも汚いものも、良いものも悪いものもごっちゃにするたとえ。無茶苦茶なさま。
○ 羊頭狗肉 (ようとうくにく)[ 羊頭を懸(かか)げて狗肉を売る ] 外見や見てくれがよくても、内容や実質が伴っていないことのたとえ。
○ 犬に論語(犬に念仏猫に経)
道理を説き聞かせても益のないことのたとえ。
○ 犬の川端歩き
いくら歩き回っても何の得る所もないこと、また金銭を所持しないで店頭をぶらつくことのたとえ。
○ 犬の遠吠え
臆病な者が陰で虚勢を張り、または他人を攻撃することのたとえ。
○ 犬も食わぬ
誰も好まず、相手にしないこと。
○ 門の前の痩犬(やせいぬ)
弱者も後援があれば強いというたとえ。
<後記>いかがでしょうか。いろいろ「犬」にまつわる諺があるものです。犬というものの性質や人とのかかわりの深さを、表しているように思えます。
犬とは、人にくっついてきて、かつ忠実で、あちこちうろつき回って、何でも食べて、吠えて、狩猟などで人の役に立つ、といったところでしょうか。
中国では犬(狗)を食べていた(食べている)ということもわかります。「犬骨折って鷹の餌食」などは鷹狩で、犬が獲物をやっと追い出しても、捕るのは鷹で、おいしいところをもっていかれる、というところから出た諺だそうです。 「犬も食わぬ」が「夫婦喧嘩」だけでなく、「自慢(の糞)」について諺になるというのも面白かったですね。
長い間の人と犬とのかかわりも再認識して、犬との付き合いをよりよいものにしたいと、改めて感じました。
<追記>06.06.08 8つ追加します。 ○ 犬一代に狸一匹
普通の人にとって大きな幸運に出会うのは、生涯のうちでそう何度もないということのたとえ。
○ 蜀犬(しょっけん)日に吠ゆ
無知な人が他人の優れた言行を疑い、怪しんでとやかく言うことのたとえ。中国の蜀地方は、高い山に囲まれ雤も多いので、日の差すことが少ない。そのため、まれに現れる太陽に、犬が怪しんで吠えることから。 ○ 脳なし犬は昼吠える
才能のないものに限って大きなことを話したり、大騒ぎをしたりするものであるというたとえ。
○ 犬兎(けんと)の争い 二人が争っているうちに、まんまと第三者につけこまれ、利益を横取りされてしまうこと。
○ 米食った犬が叩かれずに、糠(ぬか)食った犬が叩かれる 大きな悪事を働いた者は罪を逃れて、小さな悪事を働いた者が罰せられるというたとえ。また、主犯が捕まらず、共犯の小者が罰を受けるというたとえ。 ○ 飼い犬に手をかまれる
普段目をかけて世話をしてやり、恩を感じているだろうと思っていた者に裏切られたり、害を加えられたりすることのたとえ。(有名なのを忘れていました) ○ 犬馬(けんば)の労
相手のために、犬や馬のように微力ながら、ひたすら尽くすこと。(へりくだって言う) ○ 頼むと頼まれては犬も木へ登る 人に心から信頼されて頼まれれば、できないことでもなんとかしてやり遂げようという気になるものであるというたとえ。
06.06.21
2つ追加します。 ○ 赤犬が狐を追う 赤犬と狐は、どちらも毛色が似ていることから、追うものと追われるものの区別がつかないこと。善悪や優劣の判断がしにくいことのたとえ。 ○ 旅の犬が尾をすぼめる
家の中では威張っているのに、外に出たとたんに意気地がなくなるような人を冷やかして言う。